タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

養老町全域 | タギゾウくんの養老ノート | Page 149
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養老町全域

小畑小学校

明治中頃は小畑に小学校はなく、大坪の子どもは日吉小学校に通っていた。昭和18年(1943)に入学した時の小畑国民小学校は1クラス47名で、1学年1クラスしかなかった。その次の年の入学生は23名だった。校舎は建てかえられているものの、場所は変わっていない。 小 [...]

小畑の教育

戦後、飯田から通う主な高校には希望する進路により、進学校の大垣北高等学校、実業校では大垣農業高等学校(現、大垣養老高等学校)、大垣工業高校、大垣商業高校があった。 学校の先生の給与は村の財政によって異なっており、飯田が一番安かったといわれている。 相順寺( [...]

小畑地区の舟運

江月には湊はないが土場はあった。そのため、烏江・船附・栗笠の濃州三湊から杭瀬川を通って伊勢湾、桑名、今尾、大垣の舟町湊へと続く水運があり、人物・物資の交流があった。 幕末の頃から舟運が盛んになった。赤坂山の石灰を桑名を経て名古屋へ運んだ。また、桑名や名古屋の [...]

飯田村の交通

飯田には巾3尺の里道が多い。 大垣街道沿いの為、飯田は人の往来が多い。

青山新一博士

飯田の庄屋佐竹家(飯田143)のはす向かいに薬屋の山城屋があり大きな門があった。その隣には東北大学の青山博士の生家、種油の油屋があった。 青山新一博士は明治時代、養老郡で最初に博士号を取った人物である。