養老町全域

押越が形成され、さらに高田が形成されていった。押越は高田に比べて、石高の高い土地を多く持っていた。
押越地内には下川原のように、出郷(でご)と呼ばれる区域があった。押越の住民以外による耕作地があったと考えられる。
押越の辺りに河間があった。
押越には「高
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明圓寺は大永3年(1523)に創建された。本尊は阿弥陀如来である。
瑞穂の大部分の人が根古地の明圓寺(みょうえんじ)の門徒である。尼寺の林照院(りんしょういん)の門徒はこの辺りではいない。
葬式があると明圓寺、徳善寺(とくぜんじ)、林照院など、複数の寺を呼
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烏江小学校が高田小学校へ合併された時の条件として、烏江から高田小へ通う生徒には3年ほどは定期が支給された。A氏は電車で烏江から高田小学校に通っていた。
烏江の明倫(めいりん)小学校は、明治10年に烏江村の善正寺に創立された。明治22年に明倫小学校から烏江尋常
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烏江には、庄屋で200年以上も続いた吹原家がある。吹原家は代々勘兵衛(ふきはら かんべえ)を襲名した。吹原勘兵衛は、養老町の烏江湊の舟問屋を勤めた庄屋である。
関ケ原合戦の時、吹原勘兵衛(ふきはら かんべえ)氏が、舟で徳川の退去を手助けした。その恩として家康
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杭瀬川と牧田川の合流地点北、現在の牧田川の中心地の川敷内に砦程度ではあるが、烏江城があったと伝えられている。善正寺文書によれば文明4年(1472)の頃は、吹原久内左衛門重時善正(ふきはらひさうちざえもん しげとき ぜんしょう)が城主であった。善正寺の住職吹原竜
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