経済

室原では水利や防災、買い物等の生活は垂井町よりも、高田方面との関わりが強かった。
福源寺に表佐(おさ)の医者、多和田氏が週2回ほど出張してきていたが、入院治療をする時には高田の山口さん(現、山口内科外科)にかかった。
瀬古の団結心は強かったが、瀬古同士の対
[...]

室原では泥川よりも、主に牧田川から取水している山田用水を使用していた。
大正5年(1916)に喜多輪中ができた。
室原字新宮、宇田字川原、色目字清水のあたりに湧水があった。大坪と室原では水争いのため何度か不穏な時もあったようである。

泥(どろ)川の堤防が低く、伊勢湾台風による逆水で小栗栖神社の御神体が垂井町表佐に流された時には御神体を探しに行った。
昭和の始め頃から泥川の堤防の石段を少しづつ高くしていった。皿魚籠(さらびく)に土をのせて堤防の横に足場を作り、モッコで土を運んだ。女、子供は
[...]

江戸時代からの氏子の戸数は分家が多いため増えている。熊野神社で10月の祭礼時に3台の車山の前で、戸数分の提灯を灯していた。数十年前は103戸だったが、2010年現在は約250戸数ほどに増えた。
車山の虫干しを正海寺の本堂で行っていたが、車山蔵が出来てからは正
[...]

室原の熊野神社は昭和27年(1952)の宗教法人への申請書類には応永年間(1394-1427)の創建と書かれていた。
津島神社から牛頭天王(ごずてんのう)を分社し、その100年程後に疫病の神様である牛頭天王より幅広い神様として熊野権現を勧請した。熊野権現を勧
[...]