経済

室原では泥川よりも、主に牧田川から取水している山田用水を使用していた。
大正5年(1916)に喜多輪中ができた。
室原字新宮、宇田字川原、色目字清水のあたりに湧水があった。大坪と室原では水争いのため何度か不穏な時もあったようである。

泥(どろ)川の堤防が低く、伊勢湾台風による逆水で小栗栖神社の御神体が垂井町表佐に流された時には御神体を探しに行った。
昭和の始め頃から泥川の堤防の石段を少しづつ高くしていった。皿魚籠(さらびく)に土をのせて堤防の横に足場を作り、モッコで土を運んだ。女、子供は
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江戸時代からの氏子の戸数は分家が多いため増えている。熊野神社で10月の祭礼時に3台の車山の前で、戸数分の提灯を灯していた。数十年前は103戸だったが、2010年現在は約250戸数ほどに増えた。
車山の虫干しを正海寺の本堂で行っていたが、車山蔵が出来てからは正
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室原の熊野神社は昭和27年(1952)の宗教法人への申請書類には応永年間(1394-1427)の創建と書かれていた。
津島神社から牛頭天王(ごずてんのう)を分社し、その100年程後に疫病の神様である牛頭天王より幅広い神様として熊野権現を勧請した。熊野権現を勧
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蓮沢寺(れんたくじ)の前身は、上段海(かみだんがい)から水を避けて色目村へ移った人々が、安福(やすふく)氏一族のための安福(あんぷく)寺には参れず、文明11年(1480)蓮如上人の名号「南無阿弥陀仏」をもって色目村道場を開いたことが始まりである。
現住職(平
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