室原の熊野神社は昭和27年(1952)の宗教法人への申請書類には応永年間(1394-1427)の創建と書かれていた。
津島神社から牛頭天王(ごずてんのう)を分社し、その100年程後に疫病の神様である牛頭天王より幅広い神様として熊野権現を勧請した。熊野権現を勧請した頃の室原の中心人物は庄屋の鈴木治左衛門氏であったが、熊野神社に庄屋がどう関わったかという資料は全くない。
8月1日に牛頭天王の祭りである天王祭を行う。竹ざおに提灯をつけ、車山の打ち囃子を拝殿の前で筵(むしろ)をひいて1~1.5時間演奏する。笛太鼓も上り車山(のぼりやま)、送られ車山(おくられやま)等の曲がある。15年ほど前まで行われていた。
室原の熊野神社内に天台宗智善院という寺院があったが、明治6年(1873)に、廃仏毀釈により智善院が取り壊された。千手観音像、阿弥陀如来像など多数あり、現在は福源寺にて保管されている。
知善院は寺子屋としても使われていた。
御鍬神社は、綾野渡しの西側の字一本杉に位置していたが、現在は熊野神社に合祀されている。御鍬神社があった場所に石が置かれて住民がお参りしていたが、その石も熊野神社の横に運ばれて安置されている。その他の社はもともと熊野神社にあった。
室原の熊野神社の祭りは、旧暦8月、9月20日、10月5日、10月の第1土日と移り変わってきた。
室原は3つに瀬古割(せこわり)されており、色目(いろめ)・井畑(いばた)・東向(ひがしむき)に各総代や世話方がいる。現在は隣保班(りんぽはん)10班から1名ずつ総代を出し、その他に各瀬古からの総代が3名、総数13名で4年交代である。
江戸時代室原は天領の為、牧田地区から多良街道から領地を越えて他国の武士や領主が密かに侵入してこないように見張った。
天領では年貢が安く、年数がたって金がたまった頃になると、徳川幕府が散財させるために村が車山を作り、祭典を催すことを許した。
昔は豊年や祝い事がある年のみ車山の曳き出しや子供歌舞伎を行った。戦時中は子供歌舞伎は自粛されていた。祭の詳細は9月20日頃に決定され10日ほどかけて準備を行った。年行司の家で子供歌舞伎の練習が行われ、師匠を長浜の江州から招いて小学校3年~6年生の子供たちが歌舞伎の振り付けや、口上を習った。車山が出ない年でも神事のみは行われた。
最初に垂井町の車山を買ったため、室原の車山は今でも長浜型である。
室原の熊野神社では4月、9月にも小祭りを行う。

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御鍬神社=大年神社(養老町史p.359)。 なお、踏査では御鍬神社があった場所に置かれていたという石に該当しそうなものは見当たらなかった。 表示位置は室原の熊野神社を示している。