室原では水利や防災、買い物等の生活は垂井町よりも、高田方面との関わりが強かった。
福源寺に表佐(おさ)の医者、多和田氏が週2回ほど出張してきていたが、入院治療をする時には高田の山口さん(現、山口内科外科)にかかった。
瀬古の団結心は強かったが、瀬古同士の対抗心も強かった。
室原は関西の生活習慣が混ざっている。仕事や婚姻など、関西方面との交流が多かった為か、関西弁が混じるお年寄りもいる。
室原のような120~150戸の大きな田舎集落は珍しい。この辺りの水問題により結束を強めてきたという背景のためではないかと推測している。
室原は大垣から米業者の出入りが多かったなど大垣との繋がりが深く、平成15年頃に大垣市との合併の話が出た際も抵抗はなかった。
室原への産婆さんは栗原(不破郡垂井町)からよんでいた。
栗原山は栗原地区が総持ちをしていた。そのため、持ち山を持たない室原よりも栗原の方が経済力が上だった。
表示位置は日吉公民館室原分館を示している。