経済

現在の江月青少年集会所の真西の辺りが江月の庄屋吹原市兵衛(ふきはら いちべえ)氏の千坪ほどあった屋敷の跡ではないかと思う。昭和37年(1962)から土地改良で整地をした時、地中からたくさんの茶碗が出土した。明治の始め頃には既に屋敷跡は無くなっていた。
江月は
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段海村には淡海城(だんかいじょう)という城があった。城主は織田信長が西美濃から大垣を攻める大垣城攻略のために派遣した、尾張津島神社の神官の次男、祖父江国舎(そぶえくにのり)である。津島神社の神官は昔から現在に至るまで祖父江という姓を名乗っている。
祖父江国舎
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室町時代(1429-1441)に多芸郡内の16箇村の庄屋や地主が30年に亘って懸仏を寄進した。現在懸仏は多岐神社に保管されている。
郡史p.502、町史p.412によれば、永享8年(1436)に多芸郡渋江郷源之定政(みなもとの さだまさ)氏が寄進したという墨
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祖父江に条里制の名残を思わせる一之坪という字名と、水田の用水を引く所という意味を持つ掛圦(かけひ)という字名や、井領(いりょう)という字名がある。井領という字名は室原、不破郡表佐(おさ)にもある。垂井町の南宮大社の荘園が井領と呼ばれており、祖父江の辺り一帯まで
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戦前に土地改良のために昭和19年から20年頃に農兵隊が来て作業にあたっていた。食糧増産のための国策として、飯積輪中内の池や沼を向野地内の畑土で埋め立て、農地の造成を行っていたものである。農兵隊は飯積や直江の寺に泊まっていた。
農兵隊は14~15歳くらいの少年
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