室町時代(1429-1441)に多芸郡内の16箇村の庄屋や地主が30年に亘って懸仏を寄進した。現在懸仏は多岐神社に保管されている。
郡史p.502、町史p.412によれば、永享8年(1436)に多芸郡渋江郷源之定政(みなもとの さだまさ)氏が寄進したという墨書が懸仏の裏面にあり、その渋江が現在の祖父江にあたるとのことである。
養老町史・史料編下(p.117)によれば、火縄銃の火薬を湿らせないようにする為に柿の渋が使われていたこと、渋江という地名があったことから、防水に使われる柿の渋を集積する所があったのではないかと推測している。なお、渋江は現在の祖父江にあたる。
また、正倉院文書の中に「ミノクニソフエ」と書かれた荷札が発見されている。
表示位置は祖父江を示している。