現在の江月青少年集会所の真西の辺りが江月の庄屋吹原市兵衛(ふきはら いちべえ)氏の千坪ほどあった屋敷の跡ではないかと思う。昭和37年(1962)から土地改良で整地をした時、地中からたくさんの茶碗が出土した。明治の始め頃には既に屋敷跡は無くなっていた。
江月は元和4年(1618)頃の庄屋の系譜によると二人庄屋制度により、吹原家及び日比家の二系により治められていた。日比家の権左衛門(ごんざえもん)氏は庄屋として力を持っていたが、小作人から金の無心ばかりされて小作料を納めてもらえなかった為、土地を捨てて逃げた。当時の江月の庄屋の家系で江月に残っている人はいないが、吹原家、日比家の墓は江月の共同墓地にある。
江月では地主になると倒産すると言われた。不作の時は、小作は良い米は他所で売ってしまい、売れないようなクズ米しか地主に納めようとしなかった。また、用水の対処なども反割り(たんわり)で費用を出し合うということはせず、庄屋のみが負担した。

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江月庄屋吹原家屋敷跡は江月区字宮町地内に有り。 表示位置は庄屋吹原市兵衛の屋敷跡を示している。