経済

瑞穂西では養老町外で仕事をし始めると、農業よりもお金になるので田畑をやらなくなった。桑名の鋳物工場で働く人もいた。今は車や電車があるので仕事先は大垣・桑名・名古屋・大阪と多岐に渡る。
瑞穂ではサツマイモを五三川の川岸で作っていたことがある。魚はたくさん取れた
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瑞穂の西と東は、2010年現在は258号線で分かれているが、昔は大池で分かれていた。今は大池は存在しない。年中行事は東西が一緒に行うものも、別々のものもある。
西瑞穂は昔は14戸だったが、今は30数軒になった。
新しく来た住民には、強制ではないが消防に入っ
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池辺小学校は伊勢湾台風の前の昭和29年11月に学校を建て直し町村合併により養老町立池辺小学校と改称した。25,6年前にも移転して、2010年現在は体育館のみが残っており、空手などを教える場として利用されている。
古い池辺小学校の鬼瓦は大巻の集会所に残っている
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鬼頭家の子孫が医者をしていたが、子どもに恵まれなかったことから、屋敷の維持管理が難しくなった。小出氏の先祖が多額の借金をして購入したが、それでも一度に購入することは難しいため、分筆をしてもらいながら購入した。
小出氏の父親は鬼頭家の墓所にも注目を集めたいと思
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大場のA氏の家は、3~4代前まで魚の卸しをしていた。小作に金を貸した台帳や明治33年の木曽三川分流改修工事の竣工式の寄付を募った文書や魚屋丸七時代の金銭出入金などの資料がある。3~4代前は滋賀県の方へも魚を卸しており、かなり大きな取引をしていたらしい。それによ
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