瑞穂西では養老町外で仕事をし始めると、農業よりもお金になるので田畑をやらなくなった。桑名の鋳物工場で働く人もいた。今は車や電車があるので仕事先は大垣・桑名・名古屋・大阪と多岐に渡る。
瑞穂ではサツマイモを五三川の川岸で作っていたことがある。魚はたくさん取れたが、ほとんど自分たちの食用兼レクリエーションだった。冬には池に木を沈めて周りに網をはっておく、つけあげ漁をした。鯉や鮒が取れ、たくさん取れたら売りに行った。
瑞穂は昔からの水郷地帯で、田が一面に広がっていた。現在のように細かく畔道が作られていなかったので、田植えにしても奥から植えてこないと入れなくなるため、お互いに声をかけて、奥の田から植えていった。稲刈りは反対に手前の田から刈っていった。
瑞穂では農業用水を利用することは少なく、自然水を使っていた。
瑞穂は天領だったので、笠松の代官所へ年貢を納めに行った。

Posted in その他, 池辺, 生き物, 経済 | Tagged , | Leave a comment
表示位置は瑞穂の田を示している。