経済

明徳の湊跡は、明徳村字柳原で湧水を利用してわさび田を作っていた時に土中から神代杉が出てきたが、その辺りではないかと考えている。
明徳湊跡には、近年まで船繋ぎ岩が有った。開発によって持ち去られたとの事である。

柏尾では平成に入る頃まで、養蚕が行われていた。桑畑が多くあり、貴重な現金収入であった。
農業は石畑、飯ノ木、勢至の水田まで牛で往来していた。柏尾地内の棚田は戦後あたりまで耕作を行っており、秣の滝や湧水を集め水を引いていた。
林業も盛んで昭和40年頃まで行わ
[...]

石畑では養蚕が盛んだったが、昭和40年頃にはごく一部の家に限られるようになった。その頃まで養蚕をやっていたA氏は養蚕に使う竹の道具などを石畑川で洗っていた。当時、石畑川は川幅が1mほどあり、毛鉤を使ってハエなどが釣れた。また、山に入り薪を担いで歩いている人を見
[...]

五日市では土地に高低があり、ねずみなどに畦に穴をあけられると、下に水が落ちてしまって、水田には向かなかった。そのため、明治から昭和30年代にかけて養蚕が盛んだった。
昭和前半には、軍服にするために桑の木の皮を取りにいった。取った皮は加工されていたはずだが、加
[...]

桜井の共同基地の奥に桜井の庄屋の家系、渋谷家代々の墓があり、その墓標の中には「渋谷家元祖の墓」と書かれた寛平元年(889)の年号が入ったものがある。渋谷家の墓のある向かいあたりが火葬場のあった場所で、お墓から山中に向かって段々の桑畑があった。
桜井は上方の一
[...]