タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

経済 | タギゾウくんの養老ノート | Page 25
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経済

笠郷の農繁期

昭和10年代、農繁期にご祖父母が自宅で託児所を開いていた。農繁期になると学校は休みであったが、小さな子どもを田畑へ連れていくことはできないので、家で子守がいない人は、藁で作った丸い桶に子どもをいれておいて、田植えに出かけていた。そのため、農繁期には水の事故で亡 [...]

笠郷の農業

笠郷地区では、昔は番水制があった。田んぼの水が不足すると順番待ちだったので田植えの時期が遅くなった。水が入るとすぐにお互いに手伝いに行った。 笠郷地区の田んぼに水を入れるため、昭和8(1933)年に下笠用水が引かれた。下笠用水は杭瀬川から水を引くために牧田川 [...]

笠郷の水運

笠郷は、栗笠・烏江 ・船附の湊は、笠郷地域の文化の繁栄の元となっていた。 昭和10(1935)年前後は、笠郷小学校の2階から牧田川の帆掛船が見えた。梶のぎーぎーという音が学校まで聞こえた。当時は水量が豊富であった。 昭和10年代前半は烏江の鉄橋よりも堤防の [...]

笠郷の地主と小作人

A氏の家は地主であった。農地解放まで、地主の家では田植えをしなかった。終戦後の農地解放で土地をほとんど農民に開放した。農地解放後に残った三反の土地で田植えをしたことはある。小作人の生活はあまり分からないが、子どもの頃の友達の家は、地主の家とは違っていた。畳がな [...]

笠郷地区、和田の太鼓

笠郷地区和田の太鼓は水害で一度無くなってしまった。そのため小野文造氏の父、小野文五郎氏が、伊勢の諸戸(もろと)家に行って、太鼓を作るためのお金を得て新しく太鼓を作った。明治20年~明治30年当時、これほど大きな太鼓は他になかったそうである。なお、諸戸家は自分の [...]