経済

下笠では4月に田んぼ休み(野休み。「のやすみ」または「のうやすみ」)が1日あった。野休みに田んぼへ行くと、罰金を取られた。罰金を出さないと、村八分にされた。火事、葬式以外村八分にされてしまうので、皆従った。やがて戦争が始まり男手が無くなると、野休みなど村共通の
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昭和10年代、農繁期にご祖父母が自宅で託児所を開いていた。農繁期になると学校は休みであったが、小さな子どもを田畑へ連れていくことはできないので、家で子守がいない人は、藁で作った丸い桶に子どもをいれておいて、田植えに出かけていた。そのため、農繁期には水の事故で亡
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笠郷地区では、昔は番水制があった。田んぼの水が不足すると順番待ちだったので田植えの時期が遅くなった。水が入るとすぐにお互いに手伝いに行った。
笠郷地区の田んぼに水を入れるため、昭和8(1933)年に下笠用水が引かれた。下笠用水は杭瀬川から水を引くために牧田川
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笠郷は、栗笠・烏江 ・船附の湊は、笠郷地域の文化の繁栄の元となっていた。
昭和10(1935)年前後は、笠郷小学校の2階から牧田川の帆掛船が見えた。梶のぎーぎーという音が学校まで聞こえた。当時は水量が豊富であった。
昭和10年代前半は烏江の鉄橋よりも堤防の
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A氏の家は地主であった。農地解放まで、地主の家では田植えをしなかった。終戦後の農地解放で土地をほとんど農民に開放した。農地解放後に残った三反の土地で田植えをしたことはある。小作人の生活はあまり分からないが、子どもの頃の友達の家は、地主の家とは違っていた。畳がな
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