タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

経済 | タギゾウくんの養老ノート | Page 17
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経済

飯田の水場

人が日常から集まる場所として洗濯場があった。朝の内は主婦が集まった。用水を汲み上げる貯水槽のような場所や池、井戸がある場所に、A氏の所の洗濯場、B氏の所の洗濯場等、個人の洗濯場が何ケ所もあった。今も旧八幡神社の傍に洗濯場が残っている。 飯田の村中には用水路が [...]

株井戸制度

笠郷の下笠輪中や広幡の飯ノ木輪中には株井戸制度(かぶいどせいど)があった。株井戸は水脈によって水量が異なる。岩道、中島は水がよく出る。和田ではあまり出ないのでかなり深く掘る。それでも泥まじりのそぶ水で、今飲んだら下痢をしそうな水質であった。場所によっては、8間 [...]

石畑の人々の生活

石畑の人々は、柏尾谷からの水と井戸水を、生活用水として利用していた。 石畑の養老南小学校跡、現在のふれあいセンターの近くには、村人が共同で管理、使用していた水車小屋が2軒あった。 明治期には、石畑では養蚕が盛んに行われており、石畑川では養蚕器具などを洗って [...]

石畑と周辺の村々との関係

石畑と周辺の村では土地や水利権の問題がよく起こった。柏尾から石畑へ水を引く際も揉めていた。 「石畑豊年米とらず」という言葉が伝わっており、これは石畑が豊作の年は他の村は水が付いて不作になり、逆に他の村が豊作の年は、石畑は水不足で不作になるということを表してい [...]

石畑と稲葉家、山幡家

石畑村(いしばたむら)の庄屋の家系である稲葉家は養老町石畑の浄誓寺(じょうせいじ)の門徒で、浄誓寺の北に大きな屋敷を構えていた。 明治以降、稲葉家一族は勢至へ移り住み、その後高田へ移り住んだ。稲葉家が石畑から勢至へ移ったのは、勢至谷の水を利用して、製粉業を行 [...]