笠郷の下笠輪中や広幡の飯ノ木輪中には株井戸制度(かぶいどせいど)があった。株井戸は水脈によって水量が異なる。岩道、中島は水がよく出る。和田ではあまり出ないのでかなり深く掘る。それでも泥まじりのそぶ水で、今飲んだら下痢をしそうな水質であった。場所によっては、8間(約14.4m)ほど掘れば出てくる所もある。
和田の百間堀(ひゃっけんぼり)の井戸の中では、二軒のみが綺麗で冷たい水であった。水は、苗場に井戸水が常時必要であったが、あまり何本も掘ると、多芸輪中全体の悪水の排水に影響してくる。特にこの地域では、井戸を掘ると水が出っぱなしになるので、水ハケの悪い場所は井戸を掘る場所としては不適であった。
株井戸制度とは、輪中内で使用された井戸である。6~7間(約10.8~12.6m)の深さの井戸を掘り、直径30㎝ほどの甕を据えて土管で数戸に配水した。排水が大変だったため極力水を使わない様に、飲料水のみに使用し、5~6人が共同利用者となった。井戸を作る時には庄屋から株井戸掘削の許可を受けて税金を納めた。年間で銀一匁を納めたという1865年の記録がある。
詳細は「郷土の治水」p.67にある。表示位置は株井戸のあった字和田和田ノ崎の中心地を示している。