石畑と周辺の村では土地や水利権の問題がよく起こった。柏尾から石畑へ水を引く際も揉めていた。
「石畑豊年米とらず」という言葉が伝わっており、これは石畑が豊作の年は他の村は水が付いて不作になり、逆に他の村が豊作の年は、石畑は水不足で不作になるということを表している。石畑のあたりは周辺の村より土地の標高が高く、扇状地のため砂利質である。
喜多村は明治期に石畑村に吸収されて消滅したが、石畑の小字として現在も残っている。
勢至と石畑はあまり付き合いがない。
表示位置は石畑の中心辺りを示している。