昭和20年代頃、養老町の上方(うわがた)周辺は全部田んぼで、大地主の農作業を手伝ったり、小作農をしていた。また、大半の家では養蚕も行っていた。その他にわら細工、筵(むしろ)作り、縄ないなどもしていた。
上方の山は石だらけで、資源になるようなものがない。
月給取りとして外に働きに出ると家の農作業に手が回らなくなる為、最初年配の人などは会社勤めを嫌っていた。地元の郵便局、役場、農協などに勤めに出る人が多かったが、名古屋まで通っていた人もいる。

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表示位置は上方の中心辺りを示している。