経済

押越の土地は広く、南は金草川の堤防、口ヶ島まで、西は石畑までである。今は高田になっている栄町、大正町もかつては押越であった。
押越は土地の範囲は東西に長いが、集落は一か所に固まっている。
押越には大地主はいない。押越の地主であった渋谷家も20町位を所有する
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高田地区字押越在住のA氏が子どもの時、昭和20年代から昭和30年代の頃は朝の登校前に一遊びして、それから10人くらいまとまって登校していた。幼稚園位から、高等小学校の子に付いて歩き、大きい子の遊びを覚えた。
よく押越の子どもが固まって一緒にいたので、他地域の
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昔は、何かといえば芸者を呼んだ。青年団や消防団などで酒を飲む時はもちろん、法事の時でも芸者を呼んだことがある。
高田に住んでいたA氏(2012年現在77歳)のお父様は、青年団とは関係なく、毎晩高田地区字北浦の置屋へ遊びに行っていた。芸者買いをするお金はなかっ
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昭和20年代、学校の成績は、優、良上(りょうじょう)、良、良下(りょうげ)、可、不可の6段階評価であった。不可は落第であった。
小学校の時の科目は、算数、国語、図画工作、体育、歴史があった。今のように教育熱心ではないが、良い点数を取ると親から褒められて、嬉し
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あほ除(よげ)は明暦2(1656)年に築かれた。
押越村(おしこしむら)から下笠村(しもがさむら)にかけては幕府領、尾張藩領、高須藩領などが入り組む土地であった。そのため、あほ除は尾張藩と高須藩の立ち合いのもと、口ヶ島(くちがしま)、西岩道、岩道、下笠、中島
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