押越の土地は広く、南は金草川の堤防、口ヶ島まで、西は石畑までである。今は高田になっている栄町、大正町もかつては押越であった。
押越は土地の範囲は東西に長いが、集落は一か所に固まっている。
押越には大地主はいない。押越の地主であった渋谷家も20町位を所有する中地主であった。養老の南の方の地主には、70町規模の大地主がいたが、それ程の地主は押越にはいなかった。

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表示位置は栄町を示している。