未婚の女子で構成される処女会という会があった。華道や和裁を習ったり、敬老会のボランティアなど自主的に行っていた。
どこで活動を行っていたかは不明である。

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養老室原の色目には水車小屋があったようである。

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新宮(しんぐう)東は荒れた土地だった。
桜の里辺りは墓地などがあり、牧田川の決壊の影響か瓦礫だらけだった。

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寺子屋では作法習字読み方等を教えてもらった。そういう点で、寺は宗教的な意味以上の存在であった。
A氏は郡境である安福寺東の南北に走る通りよりも栗原側に居住していた為、近くの神社に本籍を移して室原の学校に通っていた。昭和16、7年ころまでの話である。

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綾野~大野~室原北~新宮~岡ヶ鼻を通る多良街道があり大垣古道ともいう。しかし、現在道標は残っていない。
綾野渡より室原に向かって西に直進する道を中道といい、それと平行する泥川の堤防道を東へ行き、大野の前へあがるのが昔の多良街道である。大正3年(1914)の土地改正で道筋が変わったため昔の多良街道は現存しない。
元の赤坂街道は4尺(約1.2m)ほどの細い道になっていたが土地改良で現在の位置に変わった。
養老橋、小栗栖神社北、栗原に湊があった。栗原から表佐(おさ)へ、表佐から北陸へも抜けたのではないかと考えている。

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