須賀神社は安久の村社である。以前は現在地から道を挟んで東側にあったが、昭和36年(1961)名神高速道路建設に伴い現在地に移転した。10月5日に須賀神社の祭礼が行われる。祭りでは祝詞をあげ、境内に提灯を灯す。以前は高田の大橋氏、現在は揖斐川町の三輪氏が神官を務める。須賀神社の総代は3人、任期は3年である。また宮当番が神社の掃除等の世話をする。
玉泉院には古い地蔵や落武者の墓がある。谷汲山華厳寺(揖斐川町)で管長をしていた住職もいるが、名前は不明である。
玉泉院は1300年代後半の創建ではないかと思う。
西徳寺は開基してから約630年を経過し、平成22年の現住職で22代目となる。長享元年(1487)に初代住職が亡くなったとの記録がある。転派して浄土真宗になる寺院が多いが、西徳寺は開基から浄土真宗の末寺として列している。本堂は再建後180年程経過している。濃尾地震の時、周辺の寺院の多くは倒壊等被害を受けたが、西徳寺本堂は大きな被害はなかった。
仁位西側の墓地の神明神社跡地あたりに、元の西徳寺と墓があった。仁位の墓地は元は西徳寺の墓地であったようである。
西徳寺門徒は養老町内だけでなく、名古屋市内にも約30軒の門徒がいるほか、稲沢市や輪之内町にもいる。関ヶ原の合戦時(1600)に、戦に巻き込まれるのを避けるために木曽川付近まで移り住んだのが大きな理由である。
西徳寺では夏休みのラジオ体操を終えた後に、お経の練習をしている。
東本願寺では親鸞聖人の命日である11月28日に報恩講を行う。ただし、西徳寺のような末寺ではおとりこしと呼ばれ、大垣別院などの大寺院が報恩講を終えた後に行う為、本来は12月の末から1月ごろに行われた。最近は11月から12月の間の土日に行われる。地域住民とのつながりが年々薄れているが、その年に結婚した門徒の新婦が報恩講の時に地域住民に挨拶をする。