元々は養老町北野区にあった集落が、堤防ができるとともに栗笠に移ってきた。福地神社も字仲田にあったが、現在地、栗笠区字村内地内に遷座した。
栗笠に渡し場があった。
栗笠保育園で花まつりを行なっていた。
「多芸輪中の暮らしと水害」によれば、栗笠で昭和34年の伊勢湾台風後に災害救助法が発動され、牧田川金草川の合流地点で自衛隊の給水所が作られた。
栗笠には、土地成金はおらず、豪商がいた。

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栗笠の、牧田川の中心辺りに取水口が見える笠郷用水樋管は平成22年現在は動いていない。近く撤去工事が行われる予定になっている。笠郷用水樋管は栗笠区字仲田地内にある。
市神神社の東側は船附になるが、その辺りには船附用水が流れていた。水利権は船附が持っていた。堤防の下に石積みで保護された樋管が埋まっていたが、平成20年頃に堤防強化のため掘り出された。
栗笠や上之郷では金草川から水を取っていた。両江落江樋(りょうえおちえいりひ)は大野八幡神社の北側に樋管があり、牧田川に水を流していたものである。江月の悪水もその樋管を通した。両江落江樋跡は大野区北川並地内にあった。

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大野は、明治元年(1868)には美濃の国多芸郡大野村といった。家の数は70軒、人の数は354名で、内訳は男177人、 女177人であった。馬は12頭、牛もいたが数は把握できていない。生活については、船大工、百姓が主力であった。
明治5年(1872)、大野村の村長は渋谷勝右衛門(しぶやかつえもん)氏と彦吉是次郎(ひこきちこれじろう)氏であった。
昭和34年(1959).8月の2度の台風被害、牧田川堤防が決壊、町の東南部は伊勢湾台風にて泥水化となり、昭和36年(1961)地域は土地改良工事により、用・排水や農道も良くなり、特に国道258号線が出来て以来地域は大変様変わりした。

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9月の第2日曜日に下笠薬師堂の祭りを下笠区全体で行う。
江戸時代の中頃の水害で下笠薬師堂の仏様が知多半島まで流れ、今は常滑市海音寺で浜薬師として祀られている。返してもらうようかけあったが、薬師堂に返ってきたのは別の仏様であった。浜薬師は60年に1度にしか開帳されない秘仏になっており、次回は2012年ご開帳予定である。下笠からはバス1台で毎年お参りに行っている。

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昭和31年に嫁いだ時の話では、結婚式で婚家の座敷に上がる際に嫁入りであれば、婚家の親類の女の子が花嫁の手を引き、婿入りであれば男の子が花婿の手を引いて座敷に迎えた。その後、手次ぎ寺へ初参りを行った。
赤ん坊が満1歳の誕生日を迎えると、誕生餅をつく。 餅は、赤ちゃんが一生食べ物に困らないよう、一升分つき、背中に背負わせる。

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