小坪の地主は片野弥佐武郎(かたの やさぶろう)氏であった、息子は片野悦造(かたの えつぞう)氏である。

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根古地城が建っていたと目される辺りの地名、例えば根古地区字城屋敷(しろやしき)などは、城跡であることを思わせるものである。

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五三川は下笠輪中の悪水排水用に笠郷の五ヶ村、池辺の三ヶ村が作った人工川である。五三川の保全には笠郷に絶対的責任がある。五三川排水機の管理も、昔は笠郷の人が近くに家を建てて行っていた。五三川に関係する八地区、根古地・瑞穂・大場・下笠・栗笠・大野・船附・上之郷間で八通証文が取り交わされた。この証文により、江代米(えだいまい)や藻刈についての取り決めがなされた。江代米とは輪中の悪水を落水するにあたり、川や江を借りる為にその面積に応じて課せられる年貢米のことである。また、藻刈とは川の清掃を意味する。
大場新田の輪中を作る時に、五三川の賦課金を払い、更に新田土地改良の排水機などの賦課金も大場の住民が自分達で、いわば二重に払っている。
村の力関係について、最初は釜段が強かった。藻が生えた場合なども笠郷が刈りに行かなければならなかった。今では管理も地元管理になってしまっている。ただし、一級河川になってからは国の管理になり状況は変わってきている。
昭和10年代は、親が目を離した隙に五三川に入って亡くなる等、水場で亡くなる子どもが多かった。知っているだけで2、3人亡くなった人がいる。大人が亡くなったこともあった。昔は、普段は浅い川であっても、田植えになると田んぼに水を張るのではまると抜けなくなってしまうため、水場での事故が多かった。

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瑞穂の金刀比羅神社の祭神は大巳貴神(おおなむちのかみ)である。崇徳天皇が合祀されている。
瑞穂の金刀比羅神社は元は堤防の上にあった。

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安八郡大牧村(現養老町大巻)の庄屋を務めていた鬼頭兵内(きとう へいない)は、尾張国(現愛知県名古屋市)に住んでいた鬼頭家の21代目当主鬼頭兵内景義(きとうへいない かげよし)が17世紀半ばに大牧村に移りすんできたのが初代である。(「鬼頭家の歴史」参照)
兵内は景義の後代々襲名されており、大牧の鬼頭家3代目の当主を鬼頭兵内義雄(きとうへいない よしお)、号名は呂圭(ろけい)という。義雄が当主を務めていた時代に薩摩藩による宝暦治水工事(1754)が行われた。当時の大牧村は多良の高木家が水行奉行を務めていた。高木氏の依頼により鬼頭家は敷地の一部、299畳分を薩摩藩の工事の為に提供した。大巻の智通寺の過去帳によると寛保元年(1740)頃、鬼頭家の屋敷は3反8畝(約3,762㎡)であった。
以後幕府より、これ以上のものを貸してはならないという命令があったが、兵内はその圧力には従わず、多くの棟を提供し、薩摩義士を丁重に扱ったといわれている。兵内は治水工事で家が潰れてしまってもよいと考えていたふしがあり、幕府の金をあてにせず自腹を切ってでもやり遂げようとしていたと思う。
治水工事終了後、幕府より受けた恩賞は以下の3点である。
1.金子50両
1.太平布3疋
1.毛氈2枚
義雄は寛政11年(1799)に91歳で尾張国の中島新田(現愛知県一宮市中南部と稲沢市)にて死去した。
鬼頭兵内の資料については、名古屋市東区の蓬左文庫に預けられたと聞いている。

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