鷲巣(わしのす)の虫送りはA氏の子どもの頃、昭和10年代にはやっていたが、今は行われない。昔は、誘蛾灯をたいてやった覚えがあるが、場所が字苗代の辺りだったか、神社の本殿だったかはっきり覚えていない。
養老公園は、今と昔ではすっかり様子が変わった。
今子どもの国がある所は、江戸時代には御林(おんばやし)と呼ばれた松林であった。元は白石村が管理をしていた。
昭和の初め頃、白石村から大跡村と飯ノ木村が一時的に松林の入会権を取得し、松林を管理していた時期がある。下草・柴・松茸等の権利を持っていた。
鷲巣(わしのす)のA氏は、松茸の時期に松林へ取りに行ったことがある。
養老公園の北の端の道路を西に上ると、妙見堂と御林(おんばやし)の間に動物園があり、猿がいたのを覚えている。
養老駅から三本松より京ヶ脇へ行く道、こどもの国あたりまでは、桜の木があって、春になると桜の花のトンネルになっていた。
養老公園の聖武天皇の碑が昔どこにあったかは知らないが、グランドゴルフ、パターゴルフのある場所は違うのではないだろうか。
鷲巣(わしのす)では伊勢迎えを毎年行っていた。昔は、4つの班ごとに各1名、合計4名が代参に行った。その方たちをお迎えする時は、お酒と肴を出した。肴は串もので、ごぼう、ニンジン、あぶらげが刺してあるものとミカンを出した。
3、4年前から各班での伊勢迎えは無くなった。部落委員、左義長作りの当番、宮総代が白山神社の社務所になっているお薬師さんでご馳走作りを行うだけになった。年々行事は簡単になってきているが、串ものは伝統的に残そうと頑張って続けている。もち米で作ったおにぎり、鳥の子もご馳走である。
鷲巣(わしのす)地内には二社、白山神社と八幡神社がある。鷲巣の南部に藤田という苗字の人が多く住んでいるが、この人たちが京ヶ脇あたりから鷲巣に移住する際に、八幡神社を一緒にお移しして一族の氏神としてお祀りしたと聞いたことがある。京ヶ脇のどこなのか、場所ははっきりしない。
八幡神社は、鷲巣の字南組(みなみぐみ)にある。以前は藤田一統が守をするお宮さんであったと聞くが、2012年現在80代前半のA氏が知っている限りでは、鷲巣の氏子全員が守をするお宮さんとなっている。幟竿やお供え物(三宝、八足台)などをしまう場所は、今でも藤田氏の本家にあるのか、当番が預かっているのかは不明である。
白山神社と八幡神社の総代は同じで、白山神社の総代が八幡神社のお世話もしている。
毎年祭りの前の10月第1週の日曜日は、宮掃除をすることになっている。
鷲巣には、班が4つあるが、新しく移住してきた人も多く、神社の氏子ではない人もいる。1~3班までは白山神社の掃除、4班は八幡神社の掃除をする。総代は各班から2人、合計で8人である。昔は、総代の任期期間は、3年間(10月から3年後の9月末まで)と決められていたが、いつの間にか班によって年替わり(1月から)、年度替わり(4月から)などと変わってきた。3班は、昔と同じ10月1日から3年間の任期で総代を務める。
全ての班の任期を統一しようかという話もあったが、下手に統一すると以前の就任期間が分からなくなってしまうため、任期は3年に統一したが、班によって、任期の変わり目は今でも異なる。2012年現在で1班は1月、2班は4月、3班は10月が任期の変わり目である。