高田の地名の由来ははっきりとしない。奈良時代には高田という地名があったとか、地方豪族であった高田首新家(たかたのおびと・にいのみ) に由来するという説がある。ただ、高田首がこの辺りに住んだという記録はない。
押越と高田の境界は江戸時代から変わっていない。
江戸時代の高田の町の東端は現在の老人福祉センター(高田79-2)の辺りである。高田商店街沿いで江戸時代から現在まで続く家が2軒だけ残っていると言われている。
堤防が切れることを(水が)乗超すというが、実際に乗越という地名になって残っている所がある。北浦から島田のミズノ養老工場付近である。
景陽寺のそば、高田228のあたりから東側を北浦といい、田代神社の先、玉泉堂の工場の南側辺りをその下ということから下北浦といった。
元町は北浦に含まれ、北浦は昔からの地名、元町という小字は新しい地名である。元町と呼ばれるようになった理由は不明だが元町は高田の最も古い町であるだろうと考えている。
表示位置はミズノ養老工場を示している。