大野は笠郷の中でも貧しい部落だった。昔から学問に力を入れていなかったので部落の大きさの割りに偉人が出ていない。
養老線(大垣桑名線、現在の国道258号線のこと)沿いに住む人は皆子供を中学に行かせていた。
団地も建ち、大野の人口が増えて戸数が倍になった。地域の寺の門徒になるかならないかは自由だが、村の行事には参加してもらっている。
昔は11月になると寺の報恩講の仏花を立てる材料となる松の枝を取りに行った。
昭和の始めの頃、大人の楽しみは今の様に旅行とか、皆との外食も無く、お祭りとか学校の運動会程度だった。当時の子供たちのおやつは、田んぼや畑で育った物や川で採れた物だった。例えば、サツマイモ・そら豆・大豆・柿・イチジク・菱の実など。
遊びは、男の子は、村内の小川で小魚獲りをしたり、夏になると、牧田川で泳いだり、シジミ採りをした。他には川で平泳ぎ・背泳ぎ・水潜り、または川の中に物を投げて拾って来る競技をした。
女の子は弟や妹の子守をやらされ、おはじき・お手玉遊びをしていた。

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ここでいう中学は、旧制中学のことである。 表示位置は大野福祉会館を示している。