織田河内守長孝(おだかわちのかみながたか)領屋敷は、現在の安久(やすひさ)地内、名神高速道路南の正覚寺、須賀神社付近にあったと推定されるが、同寺社ともに江戸期の創建であり、屋敷が所在していたであろう時期と重複している。安久村は江戸初期、正保(1596)頃郷帳に大塚村の字として初見している。もう一ヶ所推定される場所は、現三神町の浄蓮寺である。かつては本堂の北に親となる野村モミジと思われる大木があり、先代住職が大事にされていたが、平成10年頃に枯れてしまった。
先代の野村モミジから種が落ち自生したものが現在、浄蓮寺楼門南東に移植されている。かつて野村モミジの大木の根元あたりには小さな新芽が平成26年現在も芽生えている。移植された野村モミジの脇に、モミジの切り株らしき根があるが野村モミジかどうかは不明である。周辺の三神地区あたりの踏査も行なったが、野村モミジらしき木は確認されなかった。この場所は牧田川の扇状地の中心であり、水害の被害もなかったと思われ、原種のカエデが残ったと考えられる。