飯田には油屋さんがあった。青山新一博士の生家である。
同じ町で同じ商売をやる場合、商売許可証である鑑札が必要だった。
飯田には色々な職業の人がいた。戦後になると、ラジオ屋さんがいた。
飯田の人は川ではなく、池で魚を捕っていた。昔の飯田の人で、小畑川で生計を立てている人はいなかったのではないだろうか。
魚新さんは、皆が池で捕ったものを買い上げて商売をしていた。
飯田のA氏は、茅葺住宅の2階で養蚕をやっていた。江月、上之郷、上方の桑畑へ桑を貰いに行った記憶がある。
昭和20年代頃(1945~1954)にアルバイトでやなぎの皮を剥きに行った。
山城屋という漢方薬の商売をしていた佐竹家が字宮西にあった。
表示位置は飯田の中心地あたりを示している。