字養老公園在住の中村一氏が子供の頃の1960年代には今の字千人塚に近鉄の野球場と近鉄が経営していたレストランがあった。そこでよく子供たちが野球をして遊んでいた。平成24年(2012)現在は家が沢山建っている。レストランがあったのは現在の大菩提寺の前の住宅が建っている辺りである。
中村氏には京ケ脇と高林に友達がいたので京ケ脇と高林を行き来していた。京ケ脇に行くまでには昔から松林が広がり、その中を抜ける道は一本しかなかった。今はその一本道を通る人はいない。
今のこどもの国や芝の広場の辺りは昔は畑や山林だった。その中のいちご畑ではよく観光客が来ていちご狩りをしていた。今でもいちご狩りについて養老観光協会に電話がかかってくるようである。今では昔のイメージが全く残っていない。
字養老公園から養老南小学校に通う子は徒歩で学校まで行っていた。
豆馬亭(とうまてい、養老町養老公園1282)さんの前の鳥居の横にある養老神社の社標は昔養老駅前にあったと聞いたことがある。
「ようろう たきみち」と書いた古い石柱の道標が養老駅から西に坂を登った桜道の交差点にある。現在の場所にある道標は移設されたものという話を聞いたが、元の場所は分からない。
また、桜道の交差点からさらに西に坂を登る道路沿いには、何本もの桜の木が植えられているので、春になり満開になった頃には、桜トンネルと言っていた。交差点から郵便局までの東へ下る坂道沿いには、太い桜の木があったが、道路を広げる際に大分木を切ったようである。今も古い木が少し残っている。
表示位置は養老公園を示している。