北尾春圃の家系と墓地
北尾家の祖、信広は天文22年(1553)年に没し、以後6代目の玄圃(能医)を父とする7代目が初代春圃であり大いに活躍した名医であった。万治2年(1656)に生まれ、寛保元年(1741)に83歳で没した。子供は5人、男子ばかりで、春竹、春倫、道仙、春達、春泰で、 [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
地域
北尾家の祖、信広は天文22年(1553)年に没し、以後6代目の玄圃(能医)を父とする7代目が初代春圃であり大いに活躍した名医であった。万治2年(1656)に生まれ、寛保元年(1741)に83歳で没した。子供は5人、男子ばかりで、春竹、春倫、道仙、春達、春泰で、 [...]
名医、北尾春圃(きたおしゅんぽ)は万治2年(1659)に不破郡室原村の医家に生まれた。彼は青年の頃に発奮して医学を学び、大変成績も良く、大成して診察を請う者が次第に増え、春圃の名声は大いに上がった。大垣藩、戸田候は医家春圃に20人の扶持を与えて大垣船町、全昌寺 [...]
室原村の村政は江戸時代初期は史料に乏しいのではっきりしないが、文化3年(1806)以後の古文書には、室原村を北組と南組とに分けて庄屋と三役を両方に置き、村政を行っていた。ただ大垣役所に出す書類等は統べて一本として出していた。 安政4年(1857)の資料に [...]
昭和51年(1976)にヤナゲン養老店(押越1032)が養老町に進出することに対し、大型店対策特別委員会が組織された。トミダヤは昔からあった。 ヤナゲンが養老町に出店してきた時、その対策などで高田の商店街は混乱し、怪文書が届く等の嫌がらせがあった。 ヤナゲ [...]
昭和半ばに養老町商工会高田支部も地域の為に加担し、高田祭りに参画するよう地元が進言した。そこから、集客の為に産業観光課がポスターを制作し各市町村へ配布した。その他、道路使用に関して警察とのやりとりが面倒だった。警察から三車山の巡行を図面に出すよう依頼され、車山 [...]