タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

地域 | タギゾウくんの養老ノート | Page 43
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地域

鷲巣の生業

鷲巣(わしのす)の生業は農業が多い。 昔は津屋川の堤防の西側もすべて田んぼであった。現在人が住んでいるような、土地が高くなっている所には田んぼはなかった。 字神屋田(かみやだ)全体と、白山神社の西も田んぼであった。 昔田んぼだった所が、今では畑や雑地にな [...]

鷲巣の災害

鷲巣(わしのす)は地盤が高いので、伊勢湾台風や大雨の時は、ほとんど田んぼの被害を受けたのみであったが、2、3軒は水がついた。 専明寺(せんみょうじ)の本堂は大丈夫だったが、境内は低いので水がついた。大倉商店の荷物の入った倉庫にも水がついた。白山神社は、境内の [...]

鷲巣の湊

鷲巣(わしのす)の湊は、二か所あった。鷲巣の燈明さんの東側と、その一つ北の寺橋の所である。 専明寺南側のA商店は、昔、船で桑名方面と商売をしていた。 津島街道より一本上の道、燈明橋の近くに個人の土場(どば)があった。田を掘り上げて、船が着けるようにしたもの [...]

飯ノ木の伝承

飯ノ木(はんのき)の源氏橋の西側に昔あった、船繋石(ふなつなぎいし)という大きな岩は、昭和30年代後半の耕地整理の時に何処かに移動された。 A氏が子供の時に聞いた話では、鎧掛(よろいかけ)の榎は飯ノ木の西側、逆葦(さかさよし)は飯ノ木の集落の南にあった。

鷲巣の耕地整理と現地換地

耕地整理前の鷲巣(わしのす)には、椿(つばき)、三反割(さんだんわり)、などという字名があった。昭和36(1961)年から昭和39(1964)年頃の耕地整理後は苗代(なわしろ)、石ノ割、八間屋などという字名になった。また、白山神社の東側にあたる土地で、北から一 [...]