鷲巣(わしのす)は地盤が高いので、伊勢湾台風や大雨の時は、ほとんど田んぼの被害を受けたのみであったが、2、3軒は水がついた。
専明寺(せんみょうじ)の本堂は大丈夫だったが、境内は低いので水がついた。大倉商店の荷物の入った倉庫にも水がついた。白山神社は、境内の中を水が流れた。鷲巣の堤防が被害を受けた。
昭和13(1938)年の集中豪雨の際は、山からの水が多く、東西の村道は砂利道に穴があき、流れてしまった。また、養老寺の上の滝谷が決壊し、鷲巣1476番地の周辺から津屋川まで水が流れた。
鷲巣1528番地のあたりの南は土砂でいっぱいになり、この辺りでは一番酷い状況であった。
鷲巣は地盤が強く、地震には強い。明治の濃尾震災は分からないが、終戦前後の地震の時、鷲巣では潰れた家は一軒もなく、被害らしい被害はなかった。上多度の小学校は、昭和19(1944)年の東南海地震で南北の校舎を繋ぐ渡り廊下がつぶれた。上多度小学校は西側は堤防まで運動場、東側は中庭だった。昭和20(1945)年か昭和21(1946)年の地震で南の校舎がつぶれ、専明寺など何か所かに分かれて勉強をした。
表示位置は昭和13年の集中豪雨で被害を受けた場所を示している。