高田の映画館
高田の映画館(劇場)は、終戦後にスーパー養老の前に出来た。その映画館で、志村喬の「生きる」を観て、感動した記憶がある。他には春日八郎などが来ていた。今は空き地になっている。 昭和30年代前半には、中学生は大垣へ映画を観に行っていた。
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
地域
高田の映画館(劇場)は、終戦後にスーパー養老の前に出来た。その映画館で、志村喬の「生きる」を観て、感動した記憶がある。他には春日八郎などが来ていた。今は空き地になっている。 昭和30年代前半には、中学生は大垣へ映画を観に行っていた。
昭和20年代から30年代にかけて、正月の食事はほとんど餅であった。家で作ったもち米で、餅を四升臼で20回位搗いた。四升臼1回を80個に切った。かき餅やあられも作った。親戚の家を順番に臼を持って回って餅つきを行った。 おせち料理もあったが立派なものではなく、餅 [...]
押越では、各家に井戸があった。夏場に水が干上がることもあったが、その時はポンプを使った。 現在は30間(約54.5m)掘っているが、昔は6間(約11m)堀りであった。その為、吹き上げる力がないので、家の階段の下の低い場所に井戸を掘った。 水場は二つに仕切っ [...]
昭和20年代には押越で土葬をしていた記憶はない。押越には早くから火炉があり、威張っていた。 勢至では穴を掘り、長時間火が起きているように藁で遺体を包んで燃やしていた。A氏が勢至に遊びに行った時に、偶然火葬している所を見たことがある。 押越の墓地は、蔓草や木 [...]