地域
色目川の排水機ができる前は水に浸かりやすく、島下二番(字名)でも3俵半しか米が採れず、島下三番(字名)ではほとんど収穫できなかった。飯田の東側は水が溜まりやすく、自然排水しかできないため、水につかったら相川に自然排水で流れ出るのを待つしかなかった。

江月地区の杭瀬川堤防と小畑川堤防の天端(てんば)に宅地があるが、半官半民で、「第2種民有地」という。全国的にもまれに見る珍しい制度である。元々は堤防の無い時代、川の脇に土地を所有していた人が、土盛りの上に家を建て、村の田を守ろうという主旨でできた土地である。そ
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現在の江月青少年集会所の真西の辺りが江月の庄屋吹原市兵衛(ふきはら いちべえ)氏の千坪ほどあった屋敷の跡ではないかと思う。昭和37年(1962)から土地改良で整地をした時、地中からたくさんの茶碗が出土した。明治の始め頃には既に屋敷跡は無くなっていた。
江月は
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祖父江では報恩講や伊勢参り、左義長を行っている。お寺の行事で改修工事がある場合など、江月、祖父江周辺では積極的にお布施を出し合う。また、割り当ても現在の身代(財産)、先祖の偉業を考えた上でお布施の割合を決める。決めた後にも隣近所を意識して競い合ってより多く出そ
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段海村には淡海城(だんかいじょう)という城があった。城主は織田信長が西美濃から大垣を攻める大垣城攻略のために派遣した、尾張津島神社の神官の次男、祖父江国舎(そぶえくにのり)である。津島神社の神官は昔から現在に至るまで祖父江という姓を名乗っている。
戦国時代は
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