分類

A氏は、昭和29年(1954)に「ひらけゆく郷土」という本を作った。社会科の副読本として、各学校へ15冊位ずつ配った。当時まだ養老町の図書館はなかったので町の図書館には置いていない。
その時の写真は、自分で撮影に行き、現像もすべて自分でやった。
原板は残っ
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戦後の教育は、国からの一方的な情報だけで行っていた。しかしやがて、色々な情報を得てそれを自分で取捨選択し、一方的な教科書を教えるだけではない教育をしなければならないと考えた。その結果、放送教育を始めることになった。
その後、組合の委員長を専従で2年勤めた。
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A氏は戦前に教員をしていた。出兵し、戦争が終わって帰って来たのは終戦の翌年、昭和21年(1946)である。復員後、教員に復職する気が起きず、半年間は学校へ行かなかった。
帰ってきた時、人間はこんなに変わるものかと思った。行く時は手を振って万歳三唱だったが、帰
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広幡地区岩道在住のA氏によると、終戦後の田んぼをやっていた頃は、田植えが済んだ農上がり後は、農休みの決まりを作り、一杯飲みに行ったり、映画を観に行ったりした。

昭和24年(1949)に、高田小学校で放送教育の研究大会をやることになった。
都会である岐阜市や大垣市は、空襲にあい、校内放送ができる学校がなかった。そのため立派な機械はなかったが、高田小学校に声がかかったのである。A氏は、大会の責任者であったので、大変苦労
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