分類
		
	

安久の墓地は牧田川堤防の南と元JAにしみの日吉支店(安久166-1)の西の、2箇所にあった。2010年現在は元JAにしみの日吉支店西の墓地のみが残り、その墓地の西には戦没者を弔う石塔がある。古い墓はない。
 
	
	

江戸末期には村上杏園(むらかみ きょうえん)先生が橋爪の自宅の近くで私塾、博済室(はくさいしつ)を開いていた。
明治6年(1873)、橋爪の念長寺で日吉小学校の前身となる日新義校が開かれた。また同年、同じく日吉小学校の前身となる到遠(ちおん)義校が宇田に開か
		
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45年程前には、宇田から大垣に通うのに、大垣の友江まで自転車で送り迎えをしていた。
昭和30年代に宇田でヤギや牛を飼っていた。牛は賢いので子供ではいうことを聞かないこともあった。ヤギは乳を飲んでいたが、肉を食べることもあった。庭で解体作業をした。
結婚の際
		
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養老町の橋爪(はしづめ)の村は象鼻山(ぞうびさん)の南側の現在は牧田川が流れている場所にあったらしい。岡ヶ鼻(おかがはな)という字名であった。橋爪村は慶安3年(1650)の牧田川の水害にあい、より高い土地を求めて現在の字村内 (むらうち)地内に移住してきた。
		
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仁位は、本村宇田との関係が深かったが、橋爪・金屋とはあまり関係がなかった。ただ、橋爪若宮八幡宮をまつる加藤家とは関係がある。
仁位は昔は19戸で分家も少なかった。現在30戸数前後にはなったが戸数の増加は近隣の村と比較しても最も少ないであろうが、戸数が少ない分
		
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