西岩道の慣習
昭和31年に嫁いだ時の話では、結婚式で婚家の座敷に上がる際に嫁入りであれば、婚家の親類の女の子が花嫁の手を引き、婿入りであれば男の子が花婿の手を引いて座敷に迎えた。その後、手次ぎ寺へ初参りを行った。 赤ん坊が満1歳の誕生日を迎えると、誕生餅をつく。 餅は、赤 [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
分類
昭和31年に嫁いだ時の話では、結婚式で婚家の座敷に上がる際に嫁入りであれば、婚家の親類の女の子が花嫁の手を引き、婿入りであれば男の子が花婿の手を引いて座敷に迎えた。その後、手次ぎ寺へ初参りを行った。 赤ん坊が満1歳の誕生日を迎えると、誕生餅をつく。 餅は、赤 [...]
養老町飯ノ木の道標の位置は変わっておらず、養老から高田へ向かう途中の分岐点に建てられていた。また、関ヶ原への道しるべともなっていた。「右 高田 関ヶ原 左 養老 道」とある。
八幡神社(口ヶ島)の入り口に日露戦争忠魂碑、日清戦争の碑、台湾征伐の碑、弁財天が建てられている。日露戦争での戦死者は山手の方は多いが、広幡では一人。今の自治会館の所に小学校があり、もとは小学校の中の東側の突き当たりに碑が建てられていたが、県道を広げるということ [...]
口ヶ島(くちがしま)の元庄屋は、田中耕馬(たなか こうま)氏である。戦後行われた農地改革まではかなりの力を持っていた大地主であった。2012年現在から4代前の口ヶ島の村長である。 田中耕馬氏は現在の広幡公民館周辺の土地に広い庭園と複数の蔵がある大きな屋敷を所 [...]
終戦間近の頃、A氏が台湾の西、温州の部隊に入隊していた。半年くらいで幹部候補生となり、集合教育の為に南京に移り、やがて終戦となった。飛行機が飛ばなくなったと思っていたら終戦を告げられ、玉音放送を聞いた。南京から上海で本体と合流、日本の佐世保に戻った。 昭和1 [...]