その他

作造橋(さくぞうばし)は、九里半街道の牧田川道で、金草川に架かっている。
作造橋の名前の由来は、不明である。想像であるが、有力者の作造さんという人が寄付をして作らせたのではないだろうかと思う。

A氏のご祖父が大垣へ勉強に通っていた明治の半ば頃、大垣へ行くには、金草川を渡るのに作造橋(さくぞうばし)を通って烏江へ行った。烏江駅のそばの渡船場から、牧田川を大垣側へ渡船で渡り、歩いて学校に行った。
A氏が子どもの頃、昭和10年代も、ご祖母の在所である大垣
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昭和10年代後半に上多度地区横屋のA氏が乳牛を飼っており、乳搾りをしていた。牛舎があり、乳牛5、6頭で、1日30~40本程作っていたのではないだろうかと思う。牧場はなく、放牧は堤防の原っぱへ行ったのではないだろうか。
A氏は広幡の辺りまで、自転車で牛乳を売り
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昭和20(1945)年12月に福井大地震が起こった時、A氏はちょうど学校から帰る所だった。立っていられなくて、皆堤防の中腹に倒れ込んでしまった。岩道の家に帰ると、下駄箱がひっくりかえり、色々な物が折れていた。折れた柱を戻して、ブリキで挟んで直した。地震の被害は
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烏江のあたりに女郎屋や飲み屋があった。2012年現在で80代前半くらいまでの岩道の人は遊びに行ったかもしれない。
岩道のあたりで、遊んで身上を潰した人は聞いたことがない。女郎屋といっても御殿女中のような構えではなく、田舎の小奇麗な家の中に、女性が2、3人いて
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