地名

押越が形成され、さらに高田が形成されていった。押越は高田に比べて、石高の高い土地を多く持っていた。
押越地内には下川原のように、出郷(でご)と呼ばれる区域があった。押越の住民以外による耕作地があったと考えられる。
押越の辺りに河間があった。
押越には「高
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島田の瀬古割は、北井口、井口、井口中組と別れていた。
島田八幡神社が位置する所の小字は才勝(さいかち)である。
島田村本郷はかつて養老の中心地だった。島田住民は本郷から移転してきて、百姓が現在の島田地内に残り、庄屋は高田の町のほうへ移住した。
川島姓は島
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島田の用水は五日市川や湧水によりまかなわれていた。
新川は1番圦(ゆり・突堤のこと)から4番圦、そして横除(よこよげ)まで水を流しており、1番圦のみ現存している。江戸時代に新川の定杭があった。
昭和以降操業している高田排水機場がなかった頃は、字丑墳(うしづ
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昭和34年8月13日の集中豪雨で堤防が決壊し、ミズノ養老工場の下にあった家は土砂に埋まった。現在、決壊部分は拡張されてミズノ養老工場の駐車場になっている。
昔は島田住民全員が水防団員を努めたが、2011年現在は15人程である。消防員終了後5~6年のうちに水防
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大和町、横町、城前町の通りが入り組んでいるのは花柳界であった為、身を隠せるような作りになっている。かつて城前町の辺りに高田城があった。千秋家は、高田城と関わりがあるという人もいる。
高田185-1南の道は細い道だが、口ヶ島から五日市への往環道だった。原泉堂(
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