昭和34年8月13日の集中豪雨で堤防が決壊し、ミズノ養老工場の下にあった家は土砂に埋まった。現在、決壊部分は拡張されてミズノ養老工場の駐車場になっている。
昔は島田住民全員が水防団員を努めたが、2011年現在は15人程である。消防員終了後5~6年のうちに水防団に加入、60歳で定年する。
島田が管轄する用水、五日市川は高田中学校のそばから五日市落江排水樋門(いつかいちおちえはいすいひもん)までと、牧田川は五日市落江排水樋門から烏江の西の山の神があったあたりまでである。なお、この山の神は輪中堤の上にあったが、現存せず、山の神という名前だけが残っている。地名は字丑墳(うしづか)である。
牧田川の北側の直江地内に島田の飛地があるが、牧田川改修の名残ではないかと思う。
喰違堤は牧田川の水位が上がった時に金草川に水を落とすためのもので、金草川から北の範囲には島田輪中があるため、島田には水が入ってこないようになっている。
表示位置は字丑墳を示している。