香月屋敷
村上弁二氏の随想によれば、養老町の養老公園の高林(=白石官林、白石住民は御林と呼んでいた)の中央にあたる地域を昔から天狗の小場(てんぐのこば)と呼んだ。天狗の小場の中央に明治初年まで小さな祠があり、地元の人は元宮と言っていた。元宮から西方へ200m離れた地点を [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
地名
村上弁二氏の随想によれば、養老町の養老公園の高林(=白石官林、白石住民は御林と呼んでいた)の中央にあたる地域を昔から天狗の小場(てんぐのこば)と呼んだ。天狗の小場の中央に明治初年まで小さな祠があり、地元の人は元宮と言っていた。元宮から西方へ200m離れた地点を [...]
昔は、日吉の宇田から小畑の祖父江までを有田の庄と言って、歌にもなったらしい。 飯田には、字八之坪など古い名称がまだ一部に残っている。
養老町石畑にあった椿井(つばい)という地名は、日本各地に多く存在する。 石畑のあたりはかつて椿井郷(つばいごう)と呼ばれていた事が浄誓寺文書に残っている。 浄誓寺付近の字名は東門(とうもん)というが、大きな門があったためこの字名が付けられたのではないだろう [...]
石畑と周辺の村では土地や水利権の問題がよく起こった。柏尾から石畑へ水を引く際も揉めていた。 「石畑豊年米とらず」という言葉が伝わっており、これは石畑が豊作の年は他の村は水が付いて不作になり、逆に他の村が豊作の年は、石畑は水不足で不作になるということを表してい [...]