大場村の生業
明治初期にはご飯さえ食べれれば垣根や植木の手入れをやりに来てくれる人はいた。 大場では夏の稲の植え付けがすむと蚕の世話をし、合間に川の藻を取った。藻は竹2本で巻き取って舟一杯に積み、田や畑に入れて肥料にした。また、田舎ではトイレットペーパーの代わりにした。年 [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
食事
明治初期にはご飯さえ食べれれば垣根や植木の手入れをやりに来てくれる人はいた。 大場では夏の稲の植え付けがすむと蚕の世話をし、合間に川の藻を取った。藻は竹2本で巻き取って舟一杯に積み、田や畑に入れて肥料にした。また、田舎ではトイレットペーパーの代わりにした。年 [...]
久々美雄彦(くくみおひこ)神社は、現在は祭神を三柱祀るが、元々は四柱だった。何神様だったかは忘れたが、一柱は大垣市上石津町乙坂の神社に譲った。総代は年に数回の当番仕事がある位で特に権威がある訳ではない。 久々美雄彦神社の祭りでは、昭和7,8年頃は親戚をよんで [...]
大野は笠郷の中でも貧しい部落だった。昔から学問に力を入れていなかったので部落の大きさの割りに偉人が出ていない。 養老線(大垣桑名線、現在の国道258号線のこと)沿いに住む人は皆子供を中学に行かせていた。 団地も建ち、大野の人口が増えて戸数が倍になった。地域 [...]
大巻は養老町よりも、海津市南濃町や安八郡側に生活圏があった。 南濃町早瀬の桜堤防は大巻の小学生の遠足場所であったが、今は桜堤防の桜の木は道路拡幅の為に伐採されてしまってほとんど残っていない。 津屋川は昔は、水がとてもきれいで子供達がよく泳いだ。水遊びだけで [...]