大巻は養老町よりも、海津市南濃町や安八郡側に生活圏があった。
南濃町早瀬の桜堤防は大巻の小学生の遠足場所であったが、今は桜堤防の桜の木は道路拡幅の為に伐採されてしまってほとんど残っていない。
津屋川は昔は、水がとてもきれいで子供達がよく泳いだ。水遊びだけでなく、牛を川で洗い、魚を獲って食べた。
骨酒と言って鯉の頭を焼いて、熱い酒をかけるとダシが出て酒が甘くなるので、それをみんなで回し飲みをした。
昔は津屋川の堤防の上に住宅が並んでいた。
大巻では年に一度、ポンポン船で桑名まで出て潮干狩りをした。
大巻では、小麦粉を練った生地で餡を包んでみょうがの葉を巻いて蒸す、みょうがぼちと言われる「野上がり団子」が名物である。
大巻には水害時に仏壇を滑車で2階へ上げられ、下台(しただい)の高い名古屋仏壇と言われる吊仏壇の家が多い。
昔は蓮根田を各家庭で持っていて、生ごみは肥料としてそこに捨てた。大巻では今でも蓮根を作っている。他には小麦や菜種を作っていたが、他人の田に入って行かねばならない奥の方では米以外のものを合間に作る余裕は無かった。
大巻には昭和の初め頃、津屋川の排水機のそばに岐阜から長良川の鵜飼船1艘が来ていた。鵜の冬期間の餌を確保する為である。
昔、大巻の小坪排水機場の西側は池で、昔の排水機は池の水をかい出すためのものだった。
大巻には日本で2番目に古い排水機場の小坪排水機場があり、そこには赤レンガの門があったが土地改良時に撤去された。
小坪排水機場建設の際には近所から女性も働きに行き、タコという地突きの道具などの機材を用いて基礎を作った。
小坪のあたりの水は鉄分が多く、蛍を育てる際も水替えなどが大変だった。この地域は地下は鉄分を多く含むそぶ水で赤く濁っている。
小坪青少年集会所の広場の土地が少し高くなっているため、近年でも水が出そうなときは近隣住民は車を預けに来る。
大巻では春と秋の年二回、豊作祈願と収穫後のお礼のために住民ほぼ全員が多度神社にお参りに行く。

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表示位置は小坪排水機場を示している。