タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

先人 | タギゾウくんの養老ノート | Page 15
ブラウザを認識できませんでした
レイアウトが崩れる可能性があります
(サポート対象:FireFox,Chrome,IE8以降等)

先人

高田の町並み

大和町、横町、城前町の通りが入り組んでいるのは花柳界であった為、身を隠せるような作りになっている。かつて城前町の辺りに高田城があった。千秋家は、高田城と関わりがあるという人もいる。 高田185-1南の道は細い道だが、口ヶ島から五日市への往環道だった。原泉堂( [...]

白石村の先祖

白石村あたりは田中一族が半数を占めていた。藤塚一族は山から下りてきて養老村に入り、一時期20軒程あった。現大垣市上石津町打上(うちあげ)の多良の里山から山番の為に山越えをして養老に下りてきていたが、往来が大変なので仮宿を作ったのが始まりである。藤塚代蔵(ふじつ [...]

養老焼

養老焼の最も古いものは幕末に遡る。養老焼の祖は大橋秋二(おおはし しゅうじ)氏という人物で、自身の還暦祝いとして野菊の紋と養老焼の印が入った茶碗を60個焼いたとのことである。 また、明治35年頃に養老郡牧田村(現上石津町牧田地内)の大工が名古屋に出稼ぎに行き [...]

日比家文書

No Image

沢田の日比家には5000点に及ぶ古文書が残っており、日比達男氏が名古屋大学に寄贈した。その整理・研究の結果の一部は2006年度に名古屋大学付属図書館が行った秋季特別展「江戸時代の村と地域 -美濃養老・日比家文書にみる暮らしと災害- 」にて発表された。図録もPD [...]

佐竹民弥

No Image

佐竹民弥(さたけ たみや)は、本名を佐竹義寄(よしより)という。文化6年(1809)、十六村(現大垣市十六町)に生まれた。民弥の生家は農業の傍ら鍬や鎌を作る鍛冶屋であった。民弥はよく家の手伝いをしていたが、ある時小刀を使って煙管に竜の彫り物をした。それを見た父 [...]