養老焼の最も古いものは幕末に遡る。養老焼の祖は大橋秋二(おおはし しゅうじ)氏という人物で、自身の還暦祝いとして野菊の紋と養老焼の印が入った茶碗を60個焼いたとのことである。
また、明治35年頃に養老郡牧田村(現上石津町牧田地内)の大工が名古屋に出稼ぎに行き、焼き物に関心を持った。始めは牧田村字門前、数年後に牧田村上野宮ケ谷地内に陶土を発見して仲間とともに養老焼として売りだした。数年後、職人の一人伊藤国太郎(いとう くにたろう)が単独で養老焼を引継ぎ、養老駅前に窯を移して大正中期まで続けた後に廃業した。
一方で明治25年前後、養老公園の開園から10年ほど経った頃に名古屋在住であった伊藤素心(いとう そしん)氏が養老に移住し、茶店を開いた。その際に「素心」の印を押した器を使用しており、素心焼きと言われている。素心庵は2、3代ほど続き、最後は飴谷姓の人が受け継いだが、平成20年頃に閉店した。
伊藤素心と伊藤国太郎と同姓ではあるが、血縁関係については不明である。
素心焼きの影響を受けた可能性のある者として、佐野周(さの しゅう)、山田てつ(吉吉で一文字)らがいる。いずれも大正から昭和にかけて陶芸活動に携わっていた。

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大橋秋二氏について 1795-1857江戸時代後期の陶工。 寛政7年生まれ。医師であったが,京都にでて尾形周平に陶法をまなぶ。その後、美濃、尾張、瀬戸で作陶した。晩年は美濃養老山に窯をひらき,養老焼(秋二焼)とよばれる茶わんをやいた。安政4年10月20日死去。63歳。尾張出身。本姓は稲垣。号は松庵。 養老焼保存会 編、「養老焼」参照。 表示位置は養老駅前の窯があった場所を示している。