タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

教育 | タギゾウくんの養老ノート | Page 9
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教育

学童疎開

今尾には名古屋の田代小学校(名古屋市千種区)から疎開児童が来ていて、笠郷小学校で一緒に勉強していた。縁故疎開ができない者は、行政機関が学校ごとでまとめて疎開させたからである。依頼を受けた今尾町は、宿舎を平田町須賀の浄円寺に頼んだ。女性の教師が引率していた。

戦中の様子(広幡地区)

戦時中は日本中で兵隊送りという、出征兵士を送る行事があった。兵士を先頭にして、軍楽(ぐんがく)隊(またはラッパコ隊)がいて、ラッパを吹き、日の丸を振って烏江の駅まで送り出した。 A氏が広幡小学校1年生の頃の昭和10年代後半、同級生と下校中に、知らない人が写真 [...]

八千代学校

明治24(1891)年の濃尾大震災前に、鷲巣(わしのす)字八千代原に八千代学校が出来た。鷲巣、明徳、石畑、白石の村立学校であった。震災で一度学校が潰れたが、やがて元通りになった。その後も生徒は鷲巣、白石、明徳、石畑から通っていた。

小野佐太郎

小野佐太郎氏(文久3(1863)年生まれ、町史に記載あり)は下笠立身小学校の教員で、笠郷村収入役も務めていた。小野佐太郎氏が退職した大正6(1917)年に、村長の谷金吾氏からもらった退職時の感謝状らしき額がある。なお、谷金吾氏は船附村の庄屋であった。下笠には名 [...]

和田の虫送り

和田では虫送りは行っていなかった。 和田では誘蛾灯があった。油を使って灯をつけ、害虫を集めた。小学校に入ると6年生くらいまで稲の害虫取りをした。苗場ができると、学校の午後の授業が終わってから、班長に連れられて虫取りに行った。稲の葉先の虫をとり、瓶の中に入れて [...]