教育

烏江小学校が高田小学校へ合併された時の条件として、烏江から高田小へ通う生徒には3年ほどは定期が支給された。A氏は電車で烏江から高田小学校に通っていた。
烏江の明倫(めいりん)小学校は、明治10年に烏江村の善正寺に創立された。明治22年に明倫小学校から烏江尋常
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高田小学校の前身である藍田(らんでん)小学校は養老町内でも比較的早く開校した。

沢田の下町、上町をマチ、山手の本郷をマチマチと言った。昭和10年代は店が多く、自転車屋、旅館、雑貨屋、塩屋、菓子屋、家畜商などがあった。また、法事や葬式の請負もあったので、高田まで行かなくてもほとんどの用は沢田内で間に合った。旅館には北陸へ行く旅人や行商人が多
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大野は笠郷の中でも貧しい部落だった。昔から学問に力を入れていなかったので部落の大きさの割りに偉人が出ていない。
養老線(大垣桑名線、現在の国道258号線のこと)沿いに住む人は皆子供を中学に行かせていた。
団地も建ち、大野の人口が増えて戸数が倍になった。地域
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口ヶ島(くちがしま)の元庄屋は、田中耕馬(たなか こうま)氏である。戦後行われた農地改革まではかなりの力を持っていた大地主であった。2012年現在から4代前の口ヶ島の村長である。
田中耕馬氏は現在の広幡公民館周辺の土地に広い庭園と複数の蔵がある大きな屋敷を所
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