生き物

大野では、昭和28年頃までは岐阜から鵜飼の船が2~3隻揖斐川を下ってきて牧田川を上り、大野村の中間東の牧田川右岸堤で、鵜を休憩させていた。その時に鵜の口から飲んだ魚を鵜匠が吐き出させる場面が非常に珍しかった事が未だに深い印象に残っている。毎年一回は来て、休憩が
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広幡公民館は、広幡小学校の跡地に建っている。
広幡公民館前の紅葉は樹齢不明であるが、昭和初期頃から同じような大きさで存在した。この場所は、広幡小学校が移転する前は、校庭の、集会室のすぐ傍だった。
紅葉を保護したいが、方法に困っている。一度コンクリートで固め
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明治初期にはご飯さえ食べれれば垣根や植木の手入れをやりに来てくれる人はいた。
大場では夏の稲の植え付けがすむと蚕の世話をし、合間に川の藻を取った。藻は竹2本で巻き取って舟一杯に積み、田や畑に入れて肥料にした。また、田舎ではトイレットペーパーの代わりにした。年
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大巻の津屋川ではかなり大きな鯉も生息しており、津屋川沿いには工場などの排水が流れ込まないため、鯉も臭くなく高値で売れる。
大巻の神明神社の下に池を作り、蛍を育てた。しかし、2010年現在は蛍を育てたという池は無いようである。
昭和初期の頃、小坪から山手に行
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養老町には昔下池(しもいけ)と呼ばれた大きな池があった。下池は200町歩(約198.3ha)あって残っていれば岐阜県で最大の池であった。
養老町史の中に下池で1年でウナギが1000貫目(約3750kg)獲れたという資料がある。
駒野新田の庄屋国枝彦太郎とい
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