祭礼

桑名の一向一揆の時に上石津の人が応援を頼まれ、桑名に向かう道中に石畑のお地蔵を借りて行った。なぜ石畑の地蔵を持って行ったのかは不明である。
船著(ふなちゃく)神社(明徳)の祭神は船着神で、後に大山津見命(おおやまづみのみこと)および素箋鳴尊(すさのおのみこと)を合祀した。境内社に稲荷社、御鍬社、金刀比羅社がある。創建年代は不詳である。
船著神社には曳山が一両あり、普段はばらして保管している。大き
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昭和31年に嫁いだ時の話では、結婚式で婚家の座敷に上がる際に嫁入りであれば、婚家の親類の女の子が花嫁の手を引き、婿入りであれば男の子が花婿の手を引いて座敷に迎えた。その後、手次ぎ寺へ初参りを行った。
赤ん坊が満1歳の誕生日を迎えると、誕生餅をつく。 餅は、赤
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八幡神社(口ヶ島)の入り口に日露戦争忠魂碑、日清戦争の碑、台湾征伐の碑、弁財天が建てられている。日露戦争での戦死者は山手の方は多いが、広幡では一人。今の自治会館の所に小学校があり、もとは小学校の中の東側の突き当たりに碑が建てられていたが、県道を広げるということ
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終戦間近の頃、A氏が台湾の西、温州の部隊に入隊していた。半年くらいで幹部候補生となり、集合教育の為に南京に移り、やがて終戦となった。飛行機が飛ばなくなったと思っていたら終戦を告げられ、玉音放送を聞いた。南京から上海で本体と合流、日本の佐世保に戻った。
昭和1
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