タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

災害 | タギゾウくんの養老ノート | Page 18
ブラウザを認識できませんでした
レイアウトが崩れる可能性があります
(サポート対象:FireFox,Chrome,IE8以降等)

災害

色目川の排水機

No Image

色目川の排水機ができる前は水に浸かりやすく、島下二番(字名)でも3俵半しか米が採れず、島下三番(字名)ではほとんど収穫できなかった。飯田の東側は水が溜まりやすく、自然排水しかできないため、水につかったら相川に自然排水で流れ出るのを待つしかなかった。

江月の第2種民有地

江月地区の杭瀬川堤防と小畑川堤防の天端(てんば)に宅地があるが、半官半民で、「第2種民有地」という。全国的にもまれに見る珍しい制度である。元々は堤防の無い時代、川の脇に土地を所有していた人が、土盛りの上に家を建て、村の田を守ろうという主旨でできた土地である。そ [...]

小畑地区の防災

祖父江では災害への対応として婦人会も支援しているが、消防団が大きな役割を担っている。30代から40代で構成されており、区からお願いして入団してもらう。 蛇持にはLB会という女性のボランティアの会がある。養老町では4番目に蛇持地区が備蓄倉庫を建てた。町が揃えて [...]

飯積輪中の排水(三ヶ村樋管)

金屋は細長く、向野までつながっていた。 金屋・直江・飯積の三村それぞれが飯積輪中の水を小畑川に流すための樋管を持っており、三ケ村樋管と呼ばれていた。2010年現在も大垣養老高校(祖父江向野1418-4)の西側に存在する。 金屋は、金屋燈明の所から樋管を通し [...]

玉洞寺

玉洞寺(ぎょくとうじ)の開祖は法名軸によれば了春(りょうしゅん)といい、寛文3年(1663年)に没している。 玉洞寺は杭瀬川堤防脇に建てられていたが昭和37、38年(1962、1963)杭瀬川の堤防増築工事の際に現在地に移築された。総代との相談の結果、鉄筋の [...]