金屋は細長く、向野までつながっていた。
金屋・直江・飯積の三村それぞれが飯積輪中の水を小畑川に流すための樋管を持っており、三ケ村樋管と呼ばれていた。2010年現在も大垣養老高校(祖父江向野1418-4)の西側に存在する。
金屋は、金屋燈明の所から樋管を通して、牧田川に水を流していた。
また、金屋は、名神高速道路の北側の浄土川から小畑川に、樋管を通して流していた。樋管の位置は、養老北カントリーエレベーター(宇田1191)の南側である。
金屋は水に一回浸かると一週間程は水が引かなかった。
昭和19年の干ばつのときに、神主を呼んで雨乞い神事をして御井神社にこもった。その時井戸を掘ったが、3mは砂利、その下の4m程度が粘土層で、水が流れている音はしたが井戸から水は出なかった。

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庄屋、伊藤家の土地が西河原にあった。 三ケ村樋管=直江区字野割地内にあり。 表示位置は三ケ村樋管を示している。